36歳の12月頃に勤め先で血尿に気づきました。会社の保健師に血尿を相談したところ、病院に行くよう勧められました。まだ大丈夫だろうと少し様子を見ていたら、クリスマスの前後に大量の血尿が出て、慌てて病院に行きました。
初診から1ヵ月の間に画像検査、膀胱鏡検査(ぼうこうきょうけんさ)、最初の経尿道的膀胱腫瘍切除術(けいにょうどうてきぼうこうしゅようせつじょじゅつ、TURBT)と、目まぐるしかったですね。良性の腫瘍と思い込んでいたのですが、手術の1週間後に膀胱がんでしたと告げられ、椅子から転げ落ちるような衝撃を受けました。
膀胱がんは再発しやすい病気と説明を受け、実際に私も1~3年に1度再発し、都度治療を受けました。仕事を休まざるを得ない状況になるのですが、いつも主治医は私の仕事の意向を汲んでくださり、治療スケジュールを立ててくださいました。先生方は「病気のことはこちらで何とかするので、仕事に行ってらっしゃい」という姿勢で見守ってくださっていて、この配慮は私の闘病生活で最もありがたかったことでした。
振り返ると、私が診察時に、世間話の延長で仕事について話していたことが影響していると思います。少し勇気を出して、患者側から医師と密なコミュニケーションを取り、患者自身の目標や価値観を共有したうえで、医療従事者の皆さんに協力していただくことが自分の希望する生活に近づけるためのポイントだと思います。
また、医師の勧めでBCG治療をしましたが、残念ながら私には合わずに治療を続けられませんでした。
膀胱がんと診断されて24年後、十数回目の再発時に、病理検査(体から採取された細胞や組織を顕微鏡等で観察する検査)でがんが筋層に浸潤していると指摘されました。実は私も、再発が半年に1回程度になっていたため、「状況が変わったかもしれない」と薄々感じていました。
初発時から「浸潤したら全摘も選択肢の1つですよ」と医師に言われ続けていたので、全摘に迷いはありませんでしたが、全摘までのアプローチに抗がん剤治療が必要となり、不安になりました。
セカンド/サードオピニオンを受けましたし、歴代の主治医にも話を伺いました。印象に残っているのは、「抗がん剤治療に関するアプローチは、よく調べて決断したほうがいいですよ」というアドバイスですね。もちろん調べすぎるとかえって迷うことにもなりかねないのですが、調べることによって病院間の治療の違いが分かりますし、その情報を基に医師等と話せば理解が深まります。時が経つにつれ、治療への不安を覚えるより復帰後の仕事を考えるようになりました。
膀胱全摘と回腸導管(かいちょうどうかん)による尿路変向術を受けましたが、心配の種は「ストーマ装着が仕事でどのような影響を及ぼすのか」でした。そこで、ストーマに詳しい看護師の協力を仰いで、ストーマを着けた状態でスーツを着用できるか入院中に試しました。その準備のおかげで、退院後に慌てることは少なかったです。
今は病院で定期的に病状のチェックと再発予防の抗がん剤治療を受けながら、仕事をこなしています。ストーマを着ける生活にも慣れました。ストーマの管理・生活上の知恵等は専門の看護師に聞いたり、ストーマ会社に問い合わせたりしましたが、ストーマの中でも人工膀胱の情報は少なく最初は苦労しました。慣れた現在も自己流の工夫も多いので、同じ病気の方々と情報共有していきたいですね。
長い闘病生活で重要なのは、周囲の方々の助けです。独りで悩むより、ご自身の病気について、医師には患者側から積極的に今の生活環境や希望などを伝えたり、職場の上司・同僚、家族など協力が必要な周囲の人には早めに伝えるなどを心がけることで、希望の光が少し大きくなると思います。
私は、周囲の人の中でも妻に感謝しています。家庭内のことは何の心配もなくこなしてくれましたし、精神的な動揺は告知のときがピークで、後は冷静でした。家族の落ち着きは、患者さんの落ち着きにもつながるのではないでしょうか。